歯科医つれづれ記

読売新聞「からだのエッセイ」欄に掲載され、「歯科医と患者の架け橋に(一般財団法人 口腔保健協会)」にまとめられた、治療法の解説や歯科医としての見解など思いつくままに書きとめたエッセイです。ぜひご一読ください。

キャビネ・ダンテール御茶ノ水 院長 安田 登

 

歯科医つれづれ記 Contents

  1. 歯の優先順位上げよう
  2. 天然と人工 差は歴然
  3. 「ハミガキ王子」三つの極意
  4. 合う入れ歯安定剤いらず
  5. おしゃぶり代わりに野菜!
  6. 長嶋型かジョーダン型か
  7. 猛暑で売れた 知覚過敏歯磨き
  8. 噛みあわない 患者さんとの話
  9. インプラントと食への執着
  10. 舌も清掃して息さわやか
  11. 「治らない」とまずは理解
  12. 脅迫型勧告「フロスか死か」
  13. 入れ歯の忘れ物なくすには
  14. 保険か自費か それが問題だ
  15. 娘さん頬杖はいかんなあ
  16. 唇閉じて 歯はかまない
  17. 歯が抜けたら「30分ルール」
  18. しっかり食べて肺炎防ぐ
  19. 抜けた後 選ぶのはあなた
  20. 妊娠時 歯の手入れ入念に
  21. もしものときの親知らず
  22. 大人だって矯正治療
  23. むし歯の始まり 唾液が修復
  24. 日本の接着剤 世界最先端
  25. たばこ 歯の健康にも大敵
  26. 根元の虫歯 高齢者はご用心
  27. 口にはめて いびきストップ
  28. 舌の運動 リハビリにも美容にも
  29. 「お任せします」は危険
  30. お口の中もドックで整備
  31. チームワークでよい仕事
  32. インプラント治療の危険性
  33. 過ぎた治療 及ばざるが如し
  34. よい歯医者さんを紹介して下さい
  35. ホワイトニング 白い歯が簡単に
  36. 歯科でも往診がありますよ
  37. なかなか普及しない歯科の新技術
  38. 歯が1本抜けたら接着ブリッジ
  39. 清涼飲料水はスカッとさわやかに飲もう
  40. テトラサイクリンで黒くなってしまった歯
  41. 詰め物、被せ物で金属アレルギー
  42. ストレスと歯-唾液アミラーゼモニター
  43. 予防処置や定期健診は保険では扱わない?
  44. 食育は歯科医も主役
  45. 歯磨剤の効果
  46. 入れ歯と料理人
  47. 入れ歯に磁石
  48. 歯周病と糖尿病の深い関係
  49. 歯科医院は快適!?

続・歯科医つれづれ記 Contents

  1. 「歯科医つれづれ記」またはじめま~す!
  2. 東日本大震災、避難所へ「歯みがき」ボランティア(その1)
  3. 東日本大震災、避難所へ「歯みがき」ボランティア(その2)
  4. プロメテウスのもう一つの罠
  5. この歳で開業? 無謀な!
  6. 同級生の死から
  7. 自己責任、考え方の違い
  8. 医者はそばにいるだけでいい
  9. 治療費は皆さんの方でお決めください
  10. ユニバーサルデザイン(共用品)?
  11. 診療室のネットが遮断され…
  12. 院内ミーティング
  13. 保存不可能な歯って?
  14. あらためて「むし歯治療」の必要性とは?
  15. 松岡修造さん、眞鍋かをりさんと共演して?
  16. 松岡修造さん、眞鍋かをりさんと共演して?(続き)
  17. 患者の診療録開示は個人情報保護法に基づくか?
  18. 歯科医院への取材、それとも広告?
  19. わが歯科医院は駆け込み寺?
  20. わが歯科医院は駆け込み寺?(続き)
  21. 「医者に殺されない 47の心得」の歯科版でも作ろうかな?
  22. 「むし歯は治らない、治せない!?」
  23. 「歯医者さんが多いとむし歯が増える!?」
  24. オジサン、オバサン達の歯が汚い
  25. 健康保険制度はもっと有効に
  26. むし歯に保険はもういらない
  27. 新人歯科医も名人歯科医も収入は同じ
  28. こうなったら「赤ひげ」になろう!
  29. 自費のスタートは定期健診とクリーニング
  30. 「定期健診とクリーニング」だけで歯科医院は成り立つか?
  31. 歯科医院と患者さんの努力で何とかしよう!
  32. 一般市民(患者さん)と歯科界はどうしたらよいか?
  33. 【閑話休題(その1)】
  34. HPの功罪?
  35. それにしても薬の飲みすぎでは?
  36. 【閑話休題(その2)】ついにやってしまった!
  37. 修復物は100年もつ?
  38. 「Tooth Wear」ってなあに?(その3)
  39. 「Tooth Wear」ってなあに?(その2)
  40. 「Tooth Wear」ってなあに?(その1)
  41. 【閑話休題(その3)】40数年振りの訪問記(モンペリエ大学医学部)
  42. 歯科医としての矜持と歯科医院経営の狭間で
  43. 久し振りに日本接着歯学会で講演しました
  44. やはり、説明はしっかりしないと…
  45. CAD/CAM冠が保険導入されて、かれこれ1年経過
  46. 歯科医師は政治がお好き?
  47. 【閑話休題(その4)】後輩の新刊書紹介、推薦!?
  48. 何とかして欲しい花粉症
  49. スマイル革命?
  50. CAD/CAM時代で歯科修復が変わる
  51. 歯科医になったばかりの研修生たちの悩み
  52. QS世界大学ランキング 歯学部門で東京医科歯科大学が6位!
  53. 改めて、「歯学部」の役割は何?
  54. 御茶ノ水界隈は薬局だらけ!
  55. 「口腔ケア」は健康のもと

 

第1回 歯の優先順位上げよう

 
 人間、何もかも一度には出来ないので、優先順位を決めることになる。忙しくって病院など行けるかと言っていた人も、命にかかわれば医者に駆け付ける。歯の場合は、痛みや腫れがよほどでないと、後回しにされる。
 私が都内の歯科医院に勤めていたころの話である。小学校に上がる前から、電車に乗って、歯の定期健診に通ってきていた女の子。歯石を取って、フッ素を塗布、生活指導に至るまで、お母さんも交えて徹底的に管理していた。半年に一度は必ず来るようにはがきで通知した。お陰で小学校卒業のころは1本のむし歯もない素晴らしい歯と口の健康を得ることができた。
 ところが、中学生になると塾だ、部活だと言って定期健診の通知に応じることが少なくなった。親が促しても、言う事を聞かない年ごろ。いつしか来なくなってしまったが、「痛いから診て」と、高校3年生になって、突然電話がかかってきた。
 口内を見て驚いた。あれほど素晴らしい歯だったのに、何と上下の奥歯8本にすべて金属が詰められていた。「えっ!」と絶句した私を見て、ばつの悪そうな顔をしたその子は、「学校の歯科検診で指摘されたんですけど、部活や受験勉強が忙しいので、近所の歯科で……」。
 小学生のうちは続けていた定期健診の習慣が、他の活動に押しやられてしまった結果であろう。社会に出れば、この傾向は一層激しくなる。仕事が忙しければ、優先順位はさらに下がって歯医者は遠のくばかり。
 そういう自分も、忙しさにかまけて、45歳の時に歯周病で奥歯を1本失い、詰め物をした歯がいくつかある。過労になれば肩の痛みと共に歯茎も腫れる。
 むし歯も歯周病も予防が大切。そんなことは、百も承知のはずだが、同僚の歯科医や歯科衛生士に健診やクリーニングをお願いするのは気が引けて、自分の歯の管理をおろそかにしてしまう歯科医はいるものだ。
 東京とニューヨークの働き盛りのサラリーマンの口腔(こうくう)意識調査(ライオン歯科衛生研究所)によると、1年に最低1回は定期健診に行く割合が、東京24%に対してニューヨークは79%と高い。この差は一体どこから?
 一つにはアメリカでは、キレイな歯並びが社会的ステータスの一つとして認知されているからであろう。歯科医療費が極端に高いため、予防に努めている面もあるかもしれない。日本は健康保険で、そこそこの負担で歯科にかかれる。
 痛くなって、歯科に駆け込むのが習慣になっていませんか。優先順位を変えましょう。私も最近は、誕生月とその半年後には歯科健診を受けることにしています。
 歯科医となって38年、日ごろ思うことを、つれづれなるままにつづってまいります。

第2回 天然と人工 差は歴然

 今日も仕事が終わった。夕食が済み、何か気楽な番組でもとテレビをつける。女優がアップになると、途端に私は落ち着かなくなる。口元が気になって仕方ないのである。
 うっ、この前歯はさし歯だな、セラミックかな?
 くつろぐはずが悲しいかな、頼まれてもいないのに、画面を見ながら診断を始めてしまう。しばらくはストーリーに集中するも、コマーシャルでまたもモデルの口元が気になる。自然光ではさほど気にならないと思われるものが、撮影の強いライトに映し出されて、黒ずんだ歯茎が目に映る。歯周病が進んでいるな。
 タレントになろうというような人でも、この程度である。かくも、人工の歯で天然の歯を再現するのは難しいものである。
 私たち歯科医が人工の歯と見破るきっかけで、一番多いのは歯と歯茎の境目の不自然さ。金属っぽい色だ。さらに、それに連なる歯肉の変色である。金属の軸を入れたさし歯は、金属イオンの影響で歯茎が黒ずんでくる。次が、透明感のない歯の色。まあ、キレイに並びすぎている白い歯も天然の歯ではないだろうとの見当が付く。
 ところが、外国の映画女優さんは、安心して見ていられる。ピンク色の歯肉の上に、透きとおった、真珠のような歯がきれいに並んでいる。なぜこんなに違いがあるのだろう?
 ここからは歯科医である私の憶測に過ぎないが、アメリカでは子供のころから矯正治療によって天然の歯をきれいに並べることを、ある程度の生活レベルを保つ人々の多くが当然のこととして実行している。もちろん、むし歯や歯周病に対する予防も行っている。
 これに対して、日本では女優やタレントとして、さあデビューという段階で急に歯並びや歯の色が気になる。今さら歯列矯正では間に合わない。そこで大慌てで歯科医院に飛び込む。それも「美容歯科」や「審美歯科」を標榜(ひょうぼう)する歯科医院である。あげくは歯を削って白いセラミックをかぶせ、歯並びと白さを一挙に手に入れてしまおうとする。確かに一度は目的を達成できるかもしれないが、1年後、2年後になれば、その状態は前述したとおりである。
 セラミックなどをかぶせるには、歯を守る硬いエナメル質を削り、内部の柔らかい象牙(ぞうげ)質を露出させる。それは、傷口を作るのと同じである。高いお金を払った人工物は、歯茎との相性が天然の歯に比べれば圧倒的に悪い。いつしか、むし歯になり、歯周病の症状を呈する。若い人は安易に歯を削って白くしようなんて了見は持たないことが、自然の口元を保つ秘訣(ひけつ)である。
 たまには、ゆっくりと楽しみながらテレビを見たいものだが、歯医者でいる限り、仕事と趣味を兼ねて私の口元ウオッチングは一生続くに違いない。

第3回 「ハミガキ王子」三つの極意

 昨夏の甲子園で優勝し、今春、早稲田大学に移ってからは、陰り気味だった大学野球の人気を一気に回復させてしまった「ハンカチ王子」。今年の男子プロゴルフツアーを15歳で制し、さわやかさで売った「ハニカミ王子」、とかく世間はヒーローを待ち望んでいるようだ。
 そうであるならば私たちも負けてはいられない。息さわやかな、多くの「ハミガキ王子」を作り出さなくては。
 ただ、ハミガキ王子になるにはいささか工夫がいる。厚生労働省が行った歯科疾患実態調査(2005年)によれば、1日2回以上磨く人が既に70%を超えていることが報告されている。しかし、歯磨きにどれくらい時間をかけているかについては触れられていない。私が患者さんに聞いたところでは1~2分、長くて3分である。
 歯は28本、歯と歯茎の境目、隣の歯との間に隠れた細菌の固まり(プラークと呼ぶ)をすべて除去しようとすると、残念ながら2~3分では十分ではない、少なくとも10分は必要だと私は考えている。しかし、10分というのはいかにも長いので、それを克服するための私の極意を特別に伝えよう。
【極意その1】まずは歯ブラシには何もつけない。つけないでブラシだけで掃除をするのである。歯磨き剤をつければすぐに泡だらけになり、うがいをしたくなる。うがいをすれば歯磨きが終わりで、これだと3分持てば良い方である。
【極意その2】歯磨きを洗面所で行わない。大体、洗面所というのは、普通の住居ではあまり恵まれた場所にあるとは言えない。昔ほど悪くないとは言うものの、冷暖房が完備して、南向きの明るい、快適な空間というのは少ない。でも、歯磨き剤をつけなければ、泡だらけにならないのだから、歯磨きを洗面所で行う必要がない。そこで、自分の好きな、快適な空間でするのがよい。ある人は居間で、ある人はバスルームで、そして好きならばトイレでなんてことも可能である。
【極意その3】それでも歯磨きだけで10分は、さすがに私でも疲れてしまう。そこで「ながら磨き」である。つまり、退屈な歯磨きタイムを紛らわせるために、テレビを見ながら、好きな音楽を聴きながら、あるいは明日の仕事の資料に目を通しながら、歯磨きを行うのである。まあ、10分もやっていれば、舌で触ってもほとんどヌルヌル感覚はなくなる。
 そこで、やおら立ち上がって洗面所に行き、いつも通り歯磨き剤を歯ブラシに乗せて、1~2分、歯磨き剤の有効成分が歯に行き渡るようにすればよい。
 さあ、これであなたも「ハミガキ王子」。明日からは、もう口が臭いだの、おじん臭いなどと言わせない。人前で堂々と振る舞うことも可能です。

第4回 合う入れ歯安定剤いらず

 とある高級デパートの食堂。隣席の老紳士は、すでに注文を済ませて待っている。私は何を頼もう? メニューを見ているうちに、隣の紳士に注文の品が運ばれて来た。見なくても、においでわかる。鰻(うなぎ)だ! さて紳士がふたを開け次にしたことは?
 話しても信じられないかもしれないが、入れ歯を外して、おもむろにハンカチにのせた。手慣れたしぐさ。あーぁ、この人は日常的に食事の時は、入れ歯を外している。合わないのだ……。
 おいしそうに食した後、当たり前に、また入れ歯を口に戻し、紳士は席を立った。自分の患者さんではないが、申し訳ない気持ちで、後ろ姿を見送った。
 この話は、20年以上前に私が実際に経験したことであるが、今でも多くの人が入れ歯を外して食事をするという話を聞くと、歯科医としては何とも複雑な思いである。
 日本の入れ歯は16世紀から、仏師によって黄楊(つげ)の木で作られていた。その技術と義歯の精密さは世界をリードしていた。当時のヨーロッパでは象牙(ぞうげ)や動物の骨で作られていたが、全く機能しない、見栄えを回復するだけの代物だったという。
 一方、アメリカでは18世紀後半の初代大統領ジョージ・ワシントンが入れ歯で悩んでいた話が有名である。ドル札に描かれているワシントンの苦虫を噛(か)みつぶしたような顔は、きっと入れ歯が合っていないからに違いない。
 現在の日本では、合わない義歯を支える「義歯安定剤」の市場は年々拡大している。入れ歯に義歯安定剤をつけて、急に元気になるおじさんのテレビコマーシャルをよく見る。この義歯安定剤、歯科医からするとよくもあり悪くもある材料である。
 まず、よい点は義歯を安定させてくれるから、よく食べられる、話せるなど義歯本来の機能を発揮させてくれることである。一方、悪い点は、安定剤を均一の厚みで義歯の内面につけることが難しいため、本来の位置からずれた状態で口の中に入れられてしまう。その結果、噛み合わせの位置関係が狂い、顎(あご)の骨をやせ細らせてしまう恐れがある。合わない入れ歯がさらに合わなくなる。使用に当たっては、ぜひ歯科医の指示を仰いでからにしてほしい。
 義歯と言えばこんな話を聞いたことがある。定年を迎えた夫婦が退職金で豪華客船の船旅に出た。デッキで、満天の星空を眺め、長年の苦労を静かに語り合っていた。夜風が涼しくなったので、部屋に戻ろうとしたその時である。夫が大きなくしゃみをした瞬間、哀れ入れ歯は口から飛び出し海へ。旅行はどうしようもなくなってしまった。
 入れ歯はよい先生にじっくりと作ってもらいたいものである。よく出来た入れ歯は義歯安定剤がなくてもぴったりと合うのだから。

第5回 おしゃぶり代わりに野菜!

 最近、野菜ソムリエなんて資格も現れ、健康志向の日本では野菜ブームのようである。肉好きは野蛮人みたいな扱いで、肩身が狭い。日本より先にというか、ずっと昔から野菜を大切にしていたのは、フランスである。
 パリにいた頃(ころ)の野菜話。乳母車の幼児の手にセロリが握られているのをはじめて見た時は、何かの見間違いかと振り返った。でも人参(にんじん)をにぎっている子もいて、どうやら野菜がフランスの赤ん坊や幼児のおしゃぶり代わりと、気づいた。
 野菜スティックは、バーかスナックでの酒のつまみのイメージが強く、また、日本での散歩の幼児は、専用のビスケットなどをあてがわれているせいか、私には意外に思えた。
 お菓子を安易に与えず、歯によし、適度な硬さがあごの発達によし、そしてそうやって、本来の野菜の旨味(うまみ)をインプットされた赤ん坊は、今頃、立派な大人である。三つ星レストランのシェフ? それとも、味にうるさいお客になっただろうか。
 そういえば、学生時代の歯周病の講義。教授が自分の息子にはおしゃぶり代わりに、セロリを与えていると言っていたのを思い出した。セロリに含まれる繊維がちょうど歯ブラシ代わりになっていたのかもしれない。
 江戸時代には房楊枝(ようじ)といって柳の枝の先を砕いて、ブラシのようにして歯を磨いていたし、古くはお釈迦(しゃか)さまが弟子達に広めたとされる「歯木(しぼく)」の話もある。古代インドでニームという木の枝の先をくしゃくしゃにして繊維を出し、祈りの前の清めに口をすすぐと言う習慣に使われていた、あの歯木である。
 おじさん達の食後のおしゃぶりとして、若い女性から忌み嫌われる爪(つま)楊枝。「シーハーシーハー」という音とともに下品の代表格のように言われる。しかし、爪楊枝は別に日本の専売特許でもなく、世界中どこにでもある。ほとんどが、断面形態が三角形で、食後の歯と歯の間の清掃用具としては、極めて機能的で優れたものである。まっ、たしなみとして人前でやるのも如何と思うし、もちろん、くわえながら街路を闊歩(かっぽ)することは紳士的ではない。
 野菜スティックおしゃぶりのもうひとつの効能としては、砂糖などがほとんど含まれていないからむし歯になり難い。子供の頃に甘いものを多く摂取して育つと、大きくなってから、生半可な甘さでは満足せずに次々と甘いものを欲しがる、と言う弊害もない。前述の教授の息子、大きくなっても、セロリのうまい、まずいの嗅(か)ぎ分けには才能を発揮したそうだ。そう考えると、セロリをおしゃぶり代わりに与えるのは、実に理にかなったものかもしれない。
お子さん、お孫さんに野菜スティックをおやつ代わりにあげたらいかがでしょうか。

第6回 長嶋型か ジョーダン型か

 熱闘甲子園、プロ野球、メジャーリーグと、相変わらず日本人の胸を熱くするのが野球である。かくいう私も子供の頃(ころ)は夕方暗くなるまで、近所の原っぱでボール遊びをしていた。大人になってからはもっぱら野球観戦であったが、私の時代は間違いなく、王、長嶋の時代であった。彼らのプレーを思い出しては自分の甘酸っぱい青春時代を重ね合わせていた。
 歯科医になってからも彼らの時代は続き、二人とも毎日の激しい戦いと練習で、奥歯がぼろぼろになってしまったという話に関心を持った。
 そうか、やはり力を出すためには奥歯をギュッと噛(か)みしめなくてはならないのだ、と思ったものである。
 その後、多くのスポーツで同様のことが語られ、いつしかそれは世間の常識となった。相撲、ラグビーなどの格闘技、あるいは格闘技の要素の強いスポーツはもちろん、接触プレーのないゴルフでさえ飛距離を出すためにも噛みしめることが重要とされた。飛距離アップのためのマウスピースなどという、怪しげな商品も売られた程である。
 ところが、噛みしめなくても力を出す人はいるらしい。いや、むしろ噛み合わせていない状態の方が、力を出すタイプの人がいるらしい。
 北海道医療大学の石島勉教授の噛み合わせと背筋力の関係を調べた研究によると、日本人の約3分の2の人が奥歯を噛みしめると背筋力が最大値を示し、残りの3分の1はむしろ噛み合わせていない方が力を発揮すると報告されている。
 かの有名なアメリカのプロバスケットボール選手だったマイケル・ジョーダンさんは、力を出すときでも口を開けたままだったそうだ。そう言えば、舌を大きく出しながら、相手の防御をかいくぐってシュートする写真が多く見られた。第一、もしそうでなければ、その度に舌を噛み切って血だらけになってしまったことであろう。野球に詳しい人ならば、一昔前に巨人軍に在籍していたガルベス投手も舌を出しながら投球していたことを覚えているだろう。
 噛みしめると力を発揮するタイプの人は、えらの張った、四角い顔をしている人が多い。それは、噛む力を生み出す筋肉と顎(あご)の骨が発達しているからである。フーテンの寅さんみたいなタイプである。
 ただ、噛む力が強いが故に奥歯、あるいはそれを支える骨、さらには顎の関節にもダメージを与えてしまうことが多い。従って、こういうタイプの人は歯を防御するためにも、ボクシングの選手がはめているようなマウスピースを歯科医院で作ってもらうのがよい。
 王、長嶋派か、はたまたマイケル・ジョーダン、ガルベス派か、あなたはどちらのタイプですか?

第7回 猛暑で売れた 知覚過敏歯磨き

 象牙質知覚過敏症が増えている。どんな病気かはよく分からないが、テレビのCMでも盛んに連呼しているから、「チカクカビン」という言葉は聞いたことがあるという人も多いだろう。
 一昔前のワープロだと「近く花瓶」などと変換されて、私たち歯科医を煩わせたものだ。
 象牙質知覚過敏症とは、歯ぎしりや誤った歯磨きで歯の一番外側にあるエナメル質が失われ、表面に露出した象牙質に熱いものや、冷たいものが触れると、象牙質を通じて神経にまで刺激が伝わり痛みを生じるものである。
 むし歯でもないのに歯がしみる場合や、ぬるま湯でなければ口をすすぐこともできないなどと言う人は、知覚過敏症を疑った方がよい。歯周病で歯茎が下がって、歯根が露出した場合もしみることが多い。楽しみにしている湯上がりのビールも、いきなり飛び上がるほどの痛さでは、湯冷めならぬ興ざめすることは間違いない。
 この病気、頭痛、腰痛などと同じで、言うならば症状そのものが病名になっていて、原因も多岐にわたっている。ストレスもその一つと考えられ、現代のストレス社会では、知らないうちに歯を食いしばったり、歯ぎしりをしたりすることが多いので、知覚過敏を生じる。
 せいぜい仕事中はリラックスして、上下の歯がぶつからないように意識するのがよい。就寝中に歯ぎしりをする人は、歯科医院でマウスピースを作ってもらうことを勧める。
 最近は、歯の白さを求めてホワイトニングを希望する患者さんが多い。目に見えない表面の傷や割れ目に汚れが入ると、歯は何となく黄ばんで、汚れてくる。これを漂白剤で溶かし出し、歯本来の白さを取り戻すのがホワイトニングである。しかし、このホワイトニングを行うと知覚過敏を生じることがある。汚れで詰まっていた亀裂がキレイになれば、空気も液体もスイスイ通りやすくなって、しみるようになると考えればよい。白さを求めれば、しみることも覚悟の上と承知願いたい。
 どんな注意をしていても、象牙質知覚過敏症になってしまったら、最初に専用の歯磨き剤を試してみる、それでも続くようならば歯科医院に行って適切な処置をしてもらう。それも、いきなり神経を抜くなんてことをしないで、歯に優しい処置からお願いするのがよいだろう。
 今夏はご承知の猛暑で知覚過敏専用の歯磨き剤が売れたらしい。にわかには信じられない話だったが、実際にそうだったらしい。猛暑だから冷たいものが食べたくなる。冷たいものを食べれば歯にしみるので、専用の歯磨き剤が必要というわけだ。風が吹くと桶(おけ)屋が儲(もう)かるの類(たぐい)ですね。

第8回 噛みあわない 患者さんとの話

 「齟齬(そご)をきたす」。意見の食い違い、考え違い、思い違いなど、要は相手と噛(か)み合わないことである。患者さんと歯科医が齟齬をきたしていることがある。
 先日、久し振りにいとこが訪ねてきた。ひとしきり昔話に興じた後、唐突に「ところで、ノボルさん、近ごろ女の子がやっているブリッジってどう思いますか?」と質問してきた。私はキョトンとしてしまった。「最近、はやっているんですよ、いい年をしたおばさんまでやっていてね」。ますます、混乱してきた。
 大体、歯科でいうブリッジとは、歯が抜けた後を補う手段の一つで、抜けた部分の隣り合った両側の歯に「橋=ブリッジ」をかけるように、金属やセラミックを入れる方法だ。「だから、前歯のところにワイヤが入っている、あれ」。歯列の矯正装置のことを指していることがようやく分かった。
 ブリッジは、普通は自分でははずせないもので、とカミさんに話したら、むしろ逆にびっくりされてしまった。「えっ、自分ではずせないの?」。取り外し式の小さな入れ歯とブリッジを取り違えていた。この間違いは比較的多い。ちなみにうちのカミさん、歯医者の娘で、もちろん歯医者の女房である。
 入れ歯は大きくても小さくても、基本的には取り外せるものである。歯がすべてなくなったときにするのが「総入れ歯」で、1本でも自分の歯が残っていれば、そこにする入れ歯は、すべて「部分入れ歯」という。歯が1~2本抜けた程度の部分を補うには、ブリッジでもいいし、小さな部分入れ歯でもよい。
 「自分の歯」という言葉の意味もしばしば食い違う。患者さんは、全く手を付けてない歯を指していることが多い。差し歯や被(かぶ)せ物については自分の歯という感覚がないようだ。一方、歯科医が言う「自分の歯」は抜いていない歯のことである。根だけでも残っていれば、差し歯であろうが、被せ物であろうが、すべて自分の歯なのである。
 先日、「先生、インプラントにしなくてはだめですか?」と聞かれた。口の中をのぞいたが、歯が抜けた部分はどこにもない。「ほかの歯科医院で言われたんですけれど」。つまり自分の歯である差し歯を抜いて、そこにインプラントをしようという話らしい。念のため、インプラントは、歯がないところに、人工の歯根(しこん)を植え込む手術で、ずっと高額である。
 患者さんは、差し歯そのものが自分の歯という感覚がないので、骨の中に埋め込むインプラントも同じ類(たぐい)のものと理解しているようだ。おー怖い。
 最近はインフォームド・コンセント(説明と同意)の言葉どおり、歯科医も治療に対する説明を十分に行うことが義務付けられているが、両者に齟齬があったら、何の意味もない。よく話し合うことが大切ですね。

第9回 インプラントと食への執着

 30年余り前、貧乏フランス留学生時代の話である。今でこそ、何年のボルドーワインは……とか、気取って愉(たの)しむこともあるが、その頃は生まれて初めて飲んだワインの味に酔いしれた。学生食堂ながら、オードブル、メイン、チーズにデザートのわずか百数十円のメニューは、貧乏学生には立派なフランス料理に見えた。もちろん、少しお金を足せばワインも飲める。さすがフランス、食の国よと思ったことを覚えている。
 当時、フランスの歯科における得意分野は、インプラントであった。歯が抜けた部分の骨に、金属製の人工歯根(しこん)をねじ込む方法である。入れ歯と違って取り外す必要もなく、またブリッジのように両隣の歯を削る必要もない。子供の時に生える乳歯、大人の歯である永久歯に続く、「第3の歯」とも呼ばれる。
 私はその歯科インプラントの父と呼ばれたC教授の元で勉強をしていた。まだインプラントの術式そのものに信頼性が低く、何年持つかが話題になっていた時代である。言うならば博打(ばくち)みたいなもので、成功するかしないかはあなた次第であった。
 私は手術中よく教授に、このインプラントはどれくらい持つのですかといっては叱(しか)られていた。「そんな質問、何の意味もない。患者さんが今、食事を楽しめるかどうかが大切なんだ」と。確かにフランスは食文化が発達した国である。食べられないのは死ぬことと同じ、との思いがあるらしい。日本人にとってはかなり大げさと思うけれど、狩猟・肉食民族と農耕・草食民族との違いかもしれない。歯が抜けて入れ歯になってしまえば、フランスのあの硬い肉は噛(か)み切れない(失礼!)。
 そういえば、ある患者さんのインプラントを使った総入れ歯が、実に2000万円もしたことを思い出した。現在、日本で同じものを作ろうとすると300万~500万円程度であるが、いかに当時は希少で高価な術式であったかが分かる。同時にフランス人のあくなきまでの食に対する執着心にも感心した。その後、数年たってC教授が日本を訪れたが、私たちが豆腐を好んで食べるのを見て、日本でインプラントがはやらない理由がやっと分かったと言っていた。
 それから三十数年。インプラントを埋め込む技術も材料も、また学問もかなり進歩はしているが、相変わらず不確実な要素が強い術式の一つであることに間違いない。
 きちんとした設備のあるところで、きちんとした技術を持った先生にやってもらってはじめて、10年以上の成功例が得られるのである。皆さんには、詰め物や被(かぶ)せ物をしてもらうのとは、全く次元が異なることを、是非理解してもらいたい。
 食文化がインプラントを育て、インプラントが食文化を変えるのであろうか?

第10回 舌も清掃して息さわやか

 「阿吽(あうん)の呼吸」という言葉がある。まあ正式な語源はともかくとして、もの言わずともお互い自然と相手の心がわかることと理解されている。
 私たちの年代は相手の気持ちを察知するというのは美徳であり、人間関係を円滑に保つための大切な芸の一つとされていた。
 「男は黙って……」とか、「俺(おれ)の背中を見ろ……」なんていう言葉も自然と通用した時代である。
 ところが、昨今、こんな話はほとんど通じない。「ちゃんと言ってくれなきゃ分からないじゃないですか」などと言われてしまう。多民族からなる欧米先進国では、はっきりと意思を伝えないと分かってもらえないし、自分の意見をはっきりと言えない人は、価値のない人のようにとらえられる。「阿吽の呼吸」なんぞ望むべくもない。
 対話が必要となれば、相手に好印象を与える努力も大切だ。口臭など振りまいていては、話にもならない。たばこの吸いすぎによるヤニ臭さ、二日酔いのアルコール臭、餃子(ぎょうざ)食べ過ぎのニンニク臭などは論外だが、エチケットの一つとしてさわやかな息を保ちたい。
 口臭の原因は、特別な内臓疾患の場合を除けば、多くは食べ物のカスと、それらに群がる細菌の仕業と考えた方がよい。つまり、口の中を丁寧に清掃しない、あるいは出来ない結果として起こる。食べ物の残りカスに群がる細菌たちは、むし歯にも、歯周病にも、さらには口臭の原因にもなっている。
 そうなればやはり歯磨きが大切なのだが、もう一つ、舌苔(ぜつたい)と呼ばれる、舌の表面に無数にある溝に付く、白色の汚れを取り除かなくてはならない。その中身はむし歯や歯周病の原因となるプラーク(細菌の固まり)と同じなので、歯の周りだけを掃除しても口臭は治まらない。一生懸命歯磨きに励んでいるのに、口臭がなくならないと言う人は舌の上を掃除することをお薦めする。幸い、舌ブラシとか、舌クリーナーとか呼ばれるものが市販されているので、試してみるのもよいだろう。
 また、最近では口臭に対する検査機器も発達して、かなりの精度で原因が判別できる。ひとりで悩んでいないで歯科医院を訪れて調べてもらうのがよい。大学病院でも、「息さわやか外来」とか、「ブレスケア」とかきれいなネーミングがされ、気軽に行けるようになっている。ちなみに口臭予防サプリメントなるものが数多く市販されているが、歯科医から言わせれば、こういうものに頼るより歯科医院における清掃と、日常の手入れの方がズーッと大切である。もっと効果的なのは恋人ができるか、木村拓哉君なんかに、「歯がきれいな子って、いいよね」なんていって頂くことなのですが…。

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